校長会の研究 第15回 校長会と教頭会(その3) 2002.2.28
教頭会法規演習における労働安全衛生法違反(下)
定期健康診断におけるX線写真取り違い事故
労働安全衛生法違反の一括契約のもたらしたもの
■胃のX線写真撮影
12月4日、財団法人茨城県総合健診協会(水戸市笠原町489-5。会長=橋本昌茨城県知事)の胃がん検診車「ひかり5号」が県立水戸一高に出向き、水戸一高や水戸二高など3校26名の教職員の胃のX線写真を撮影した。フィルムは即日現像され、総合健診協会2階にある読影室のスチール棚に保管された
翌12月5日、「ひかり5号」が県立友部高校に出向き、友部高校や笠間高校など5校26名の教職員の胃のX線写真を撮影した。フィルムは即日現像され、読影室の棚に置かれた。前日のフィルムと同じスチール棚の同じ段だった。
12月10日と11日、2会場で受診者が提出した問診票から氏名・性別・年齢を転記した読影結果記入用の帳票がコンピュータ出力され、フィルムの置かれているスチール棚の別の段に置かれた。
■フィルム読影
12月12日の午後1時00分から、読影室で2名の医師が撮影済みフィルムの読影をおこなった(「二重読影方式」)。
読影作業には、総合健診協会の診療所の保健婦または検診部地域検診第二課の看護婦が、「読影介助者」として参加する。読影介助者は400枚撮りのロール・フィルムを透過照明付きの読影用機器に装填し、フィルムに対応する結果記入用の帳票を用意して、医師の告げる読影結果を記入する。1本分の読影が終わると、フィルムを取り外して次のフィルムを装填し、帳票の対応するページを開いて医師の指示を待つ。
この日は45分間で、水戸一高会場の26名分と友部高校会場の26名分の他、ひたちなか市での地域検診のフィルム3本、計85名分と、三和町での地域検診のフィルム3本、計109名分の読影がおこなわれた。全部で8本、246名分、1700コマ余りである。読影介助者はほぼ5分間おきにフィルムの取り外しと装填作業をしながら、246名分の診断結果の記入作業をおこなう。
■「検査会場」と「実施主体」
フィルムには、各コマに日付をあらわす数字(5桁。元号の末尾一桁、月2桁、日2桁)と、検診会場名のカナ文字(例「ヒタチナカ」)、個人番号(5桁)が写し込まれる。
結果記入用帳票には、氏名、性別、年齢のほか、日付、実施主体名、個人番号が印字されている。地域検診の場合、実施主体名は市町村名(例、「ひたちなか」)であり、フィルム上の検診会場名(例、「ヒタチナカ」)と一致する。受診者はひとつの自治体で数百人ないし数千人に及ぶ。個人番号は一連番号を割り振ってある。市町村名と5桁の個人番号で、誰の写真であるか区別がつく。
県立学校教職員の場合、数十か所の会場で別個に撮影がおこなわれるため、会場名と、会場ごとの順番を示す数字をつける。12月4日の場合、フィルムには「ミトイチコウ」という会場名と、「00001」から「00026」までの番号、12月5日の場合、会場名「トモベコウ」と、「00001」から「00026」までの番号が写し込まれていた。
ところが、結果記入用帳票に印字される「実施主体名」は、「水戸一高」会場も「友部高校」会場も「茨城県教育委員会」であった。フィルムには「ミトイチコウ」「トモベコウ」と写し込んであるが、帳票には対応するデータが記載されていない。
フィルム上の個人番号は、2本とも「00001」から「00026」である。2会場の帳票を区別するデータは日付の最後の一文字だけだった。読影介助者がフィルムの装填を終えて帳票のページを繰るときに、取り違いが起きた。
水戸一高会場の26名のフィルムの判定結果が、友部高校会場の26名分の帳票に記入された。友部高校会場の26名のフィルムの判定結果が、水戸一高会場の26名分の帳票に記入された。
12月18日付けで、受診した52名それぞれに他人の検診結果が通知された。本来は「?異常なし」であるのに「?軽度の異常(経過観察)」とされた人が1名、本来は「?異常なし」であるのに「?病変の存在の疑い、悪性の疑い(精密検査)」とされた人が6名いた。逆に?や?であるのに「?異常なし」とされた人が7名いた。
誤って「?病変の存在の疑い、悪性の疑い(精密検査)」とされた6名のうちの1名は、以前に胃潰瘍を患ったことのある人だった。通知書には、以前とは別の部位の病変が指摘してあった。検査前の秋から冬にかけて心労がかさなったことで、あらたな潰瘍ができたものと考え、冬休みあけに精密検査をうけることとし、正月の酒をひかえたうえで、2度の針灸治療を受けた。
■取り違いの判明
1月16日午前、この人とは別の「?病変の存在の疑い、悪性の疑い(精密検査)」とされた人が、総合健診協会で内視鏡による精密検査を受けた。胃壁は健康そのもので、「辺縁不整、巨大皺壁」があるとする一次検査結果との食い違いが顕著であった。内視鏡検査を担当した医師の指示で一次検査フィルムと結果記入用帳票の点検がおこなわれ、12月4日のデータと5日のデータの取り違いが明らかになった。
午後3時、総合健診協会内に事故対策委員会が設置され、対応策についての検討がおこなわれた。
1月17日、県立水戸第一高校、友部高校、笠間高校の3校を、総合健診協会の三倉昭管理部長と細谷博精度管理課長らが訪問し、各校の校長ないし教頭の立ち会いのもとで、通知された判定の数値に間違いのあった14名と面会し、事情説明と謝罪をおこなった。
これら3校14名を除く、8校の38名については、いずれも当初通知された他人の検査結果と、訂正後の本人の検査結果の数値が同じであったため(おそらく全員が「?異常なし」であろう)、結果的に取り違いはなかったものとみなされ、説明・謝罪の対象とはならなかった。
当該校のそれ以外の教職員への説明もおこなわれなかった。
衛生管理者や産業医(「健康管理医」)、衛生委員会への説明もおこなわれなかった。
■「ケアレスミス」
1月22日、総合健診協会は、文書による説明を求めた一部の受診者に「お詫び」文書を送付した。
「原因は、読影介助者(看護婦)が、医師が行なう読影(判定)の準備の段階で、フィルムとワークシート(読影時に必要な受診者情報をコンピュータから出力した帳票)の十分な確認を怠ったため、貴殿のフィルムとワークシートを別の方のものと取り違えていることに気付かず、読影に臨んでしまったためであります。さらに……今回12月4日・5日の県立学校教職員の胃がん検診は、同一の検診車で実施された上に、実施した検診人員〔人数のこと〕がまったく同じであったため、ワークシートの取り違えに気付かず読影結果を記入してしまったためであります。」
1月23日と2月5日の2回、この問題の調査のため、茨城県高等学校教職員組合の調査団が総合健診協会を訪れた。総合健診協会の岩間靖彦専務理事は、今回の件は「担当者のケアレスミス」が原因であり、常日頃から細心の注意をはらうよう言って来たのにたいへん残念である、と述べた。
■取り違い事故の原因
今回の事故を「ケアレスミス」によるものとする総合健診協会の認識は当を得たものではない。今回の件は、データ処理システムの根本的欠陥と読影室の構造上の問題が必然的に引き起こした医療事故である。
まず、フィルムと帳票へのデータの表示方法に根本的欠陥があった。フィルムには検診会場名が写しこまれるのに、帳票には検診会場名が印字されない。複数のフィルムに「00001」からはじまる同じ番号が使われ、個人を識別する番号となっていない。複数のデータを区別する手掛かりは日付だけであり、容易に取り違いが起きる。(同じ日に2か所で撮影した場合、区別がつかない。)
「ケアレスミス」だとして、担当した職員に全責任を負わせるのは誤りである。
■机のない読影介助者
総合健診協会2階のフィルム読影室は、学校の事務室ほどの広さの部屋であり、右手奥と左手奥に、それぞれ医師2名が読影をおこなうための透過照明機具と机があり、その脇にフィルムと帳票を保管する戸棚がある。
読影介助者のための机はない。読影介助者は、2名の医師の背後で小さな椅子に腰掛け、膝のうえで帳票への記入をおこなう。フィルム装填と取り外し作業をしながら、その姿勢で45分間で246名分の結果記入をおこなう。
読影室の中央には、大きなソファとテーブルが置かれている。医師が休憩するためのものであろう。医師のためには場違いとも思えるほど大型の家具が設置されるいっぽうで、読影介助者の看護婦や保健婦には机も用意されない。
茨城高教組の調査団が、介助者に机がないことを指摘し、机を設置して記入作業をおこなうよう改善すべきではないかと告げたところ、健診協会の三倉昭管理部長は、「茨城高教組から作業方法についてまで言われなければならないとは思わない。担当職員からはこれまで、そのような申し立てはなかった。」と述べた。
■「事故再発防止委員会」
2000年5月の県立桜ノ牧高校等での過照射事故を受けて、総合健診協会は「事故再発防止委員会」を設置した。岩間靖彦専務理事を委員長とし、三倉昭管理部長が委員長代理をつとめ、事業調整部長ら3名の部長と県西・県南・鹿行の各事務所長らが名を連ねる委員会は、業務全般について検討したうえで対策を樹立し、同年10月に「中間報告」を、さらに2001年4月に「最終報告書」を作成した。
岩間専務理事は、報告書の「おわりに」で、「協会内の役員、職員、さらには外部の関係者から、今後とも事故・トラブル防止について意見があれば、どんどん提言していただければ幸いである」と述べた。
しかし、茨城高教組調査団の指摘に対する反応をみても、県総合健診協会幹部には「外部の関係者」からの指摘を受け入れる意思はないようである。なにより問題なのは、たとえば45分間に246名分の帳票を記入する作業者のために机を用意するという、ごく当たり前のことがおこなわれない総合健診協会の組織体質である。
「担当職員からはこれまで、そのような申し立てはなかった」というが、このことは「事故再発防止委員会」を構成する幹部職員らの耳には一般職員の声がすこしもとどいていなかったことを物語るものである。
日常業務のなかにある具体的問題について担当職員が自由に指摘し、それに対して管理職員が的確に対応する体制をつくらなけば、事故原因をあらかじめ解消することはできない。
■労働条件と事故
製品の品質低下や事故の頻発の背景には、その職場の労働条件の低下がある。労働条件には、賃金のほか、労働時間、労働密度など労働の量と質、さらに作業環境などの労働安全衛生の側面がある。2000年夏の雪印乳業の集団食中毒事件に先立ち、同社は、大規模な「リストラ」をおこなった。長時間労働の日常化と労働密度の上昇により、慢性的疲労を訴える労働者が増加した。保健婦のリストラもすすめられ、労働安全衛生管理体制の機能も低下していた。
総合健診協会は、256名の職員と総数193名の臨時雇用職員(2000年度)を擁する県内最大の出張検診主体の医療機関である。30班の検診グループが連日県内全域での出張検診をおこなっている。各班は、年間200日の出張検診をおこなう。遠隔地への出張の際は、早朝5時に出発することも珍しくない。「フレックスタイム制」がとられ、労働時間は一定しない。早朝出発のうえ、午後まで検診がおこなわれる。出張検診からの帰着後の作業もあり労働時間は必ずしも1日8時間におさまらない。休日勤務も多い。
総合健診協会の建物内の事務・作業スペースは非常に狭い。職員の昼食場所も確保されていない。
総合健診協会には労働組合はない。
■県行政と総合健診協会
財団法人総合健診協会の役員の多くは、県の幹部職員によって占められている(会長=橋本昌知事、副会長=綿抜剛保健福祉部長、理事=湊孝治保健予防課長・中村昌平教育庁保健体育課長等)。それだけでなく、常勤の幹部職員には県からの天下り・出向組が据えられている。岩間靖彦専務理事は、県総務部人事課長や総務部次長をつとめた元県職員である。総合健診協会事務部門の事実上の責任者である三倉昭管理部長は、県保健福祉部保健予防課の副参事であり、県職員を休職のうえ総合健診協会に派遣されている。県保健予防課からは、このほかにも9名の県職員が派遣されている(ちなみに皆藤健一教育庁文化課長は、かつて県から派遣されて総健管理部長をつとめた)。
茨城県の保健行政当局と教育行政当局は、一連の事件について「被害者」としてふるまったり、あるいは「監督官庁」の位置から「遺憾の意」を表明するような立場にはない。茨城県の行政当局は、県総合健診協会の現状について重大な責めを負うべき「当事者」なのである。
■労働安全衛生法と胃の検診
定期健康診断については、前回検討したように、事業場(学校)ごとに設置された労働安全衛生組織において実施方法の検討がおこなわれるべきものである。検診実施機関の選定も当然各職場に委ねられるべきものであり、県教育委員会が、公正な競争を排除してまで特定の団体に委託するのは明らかな違法行為である。
労働安全衛生法第66条が事業者に実施を義務づけている定期健康診断について、労働安全衛生規則第44条が具体的項目を示しているが、そこには「胃の検査」は含まれていない。「胃の検査」は、学校保健法施行規則第10条第1項第6号に「胃の疾病及び異常の有無」とあることにより実施されているものであるが、労働安全衛生法においては除外されているものを、学校職員についてだけ義務づけることに特段の理由はない。
さらに、学校保健法施行規則第11条第6項は、胃の検査は「エックス線間接撮影」によるものと指定している。検査の対象項目を示すだけでなく、検査方法まで規則(文部科学省令)で指定するのは、ゆきすぎであろう。バリウムを飲む苦痛や下剤服用後の不快感などはともかく、放射線被爆の問題は無視できるものではないうえ、100ミリフィルム上の縦90ミリ・横80ミリの小さな画像を虫眼鏡で覗き込みながらおこなう読影診断の精度は決して高いとはいえない。見逃し(=誤診)を避けるため、必然的に「?病変の存在の疑い、悪性の疑い(精密検査)」と判定する事例が多くなる。総合健診協会の「要精密検査」判定率は平均13%にのぼる(精密検査受診勧告に応ずるのはそのうち70%ないし80%程度)。
内視鏡検査は、バリウムによるX線検査と比べてはるかに検査精度が高いものの、個人差もあるが多少の苦痛をともなうほか、食道壁を傷つける事故について警告する意見もある(医療事故についての官庁統計の不備から実態は不明であるが、死亡事故例もみられるという)。
内視鏡検査の場合、設備のある医療機関で1日に10人が限度とされる。車載しての移動検診をおこなうX線間接撮影方式の場合、1時間当たり13名(総合健診協会の基準)の検査をこなすことができ、圧倒的に効率が高い。移動検診車によるX線間接撮影という日本独特の方式が普及するほとんど唯一の理由は、ここにある。
結局のところ、移動検診車でのX線間接撮影方式によるのか、それとも医療機関でのX線直接撮影方式によるのか、あるいは最初から内視鏡方式によるのかは、健康診断を受ける本人の選択にまかされるべき事項である。その際、労働安全衛生法による定期検診項目からは除外されていることから、そもそも胃の検査を受診するか否かについても、当該検査により期待されるメリット(がんなどの疾病の発見)と、デメリット(苦痛、放射線被爆、食道壁破損などの医療事故の可能性)を勘案して、本人が選択すべきものといえる。
(訂正 前号で橋本昌県知事を総合健診協会の「理事長」としましたが、「会長」の誤りでした。訂正します。)
次回は、「校長会 その7つの大罪」として、校長会がみずからの待遇改善を求める一方で、いかにして一般教職員の労働条件を悪化させてきたかを検証する。