校長会の研究 第6回 校長会の人事(その1) 校長に至る広き門 2000.12.12
「狭き門より入れ。滅びに至る門は広く、その道も広い。そして、そこから入る者は多い。しかし、命に至る門は狭く、その道も細い。そして、そこから入る者は少ない。」
■拡大総務会の独走
前回は県高校長協会が県教育委員会に提出した「人事要望」について研究した。「人事要望」作成過程で協会の管理委員会と拡大総務会が果たした役割について思い起こしていただきたい。
管理委員会が作成した原案に基づき、拡大総務会は「強制異動の55歳以上への拡大、年限〔15年〕の短縮、例外措置の排除」を、今年度県教育委員会に提出する協会の要望事項とし、これを10月11日の全体会に提案することを決定した。ところが、これらの要望事項は、5月に全校長を対象に実施されたアンケートの結果では、ごく一部の意見にとどまっており、整合性を欠いていた。
■管理委員会秘密アンケート
こうした不可思議な協会運営の原因をさぐるため、ふたたび例の秘密アンケートの分析をおこなう。
今年5月に管理委員会が全協会員を対象に実施した秘密アンケート中、「強制異動」に関する設問では、記入率の低さ(平均30%以下)が目立った。これが「管理職登用」問題となると、回答率は急上昇し、80%以上に達する。校長たちの本当の関心の所在がよくわかり、大変興味深いのだが、問題はその中身である。
教頭試験の受験機会を「複数人に」与えるべきとする者15人、「被推薦人全員に」とする者17人など、1校1名推薦方式についての改善意見が目立つ。さらに「登用の低年齢化を」とする者が17人いる。
「実績適性を総合的に考慮してほしい」(9人)、「選考基準を明確に、問題を記述式に」(2人)という意見にいたっては、現行の管理職登用制度に対するかなり厳しい批判といえる(その他32人)。こんなアンケート結果が明らかになって1番困っているのは、県教育委員会ではないだろうか。
■教頭推薦1校1名方式
各々の校長が、教頭試験受験者として、毎年度各校から3名推薦できた従来の方法を廃止し、現行の1校1名方式に変更したのは、1991(平成3)年度の途中、突然更迭された小林元・前教育長(現在民主党3議院議員)の後任に起用された角田芳夫教育長(元県総務部長・現在県副知事)であった。
この時期は、通学区の拡大(8学区制から5学区制へ)、推薦入試の全校実施、「人格の点数化」とまでいわれた新入試制度導入と、矢継ぎ早の教育制度改悪が実施された。それらの陰に隠れてしまったが、1校1名方式の採用もまた甚大な悪影響を与える改悪だったのである。
あらかじめ校長による「人物試験」に通ったごく少数の者だけに、教頭試験の受験のチャンスが与えられるというのは、どうみてもおかしな制度である。こうした登用方法は、きわめて異様であり他に例を見ない。
しかも、校長による「推薦」が何に基づきどのようにおこなわれるのか、何の基準も示されていない。本県の県立学校の「管理職登用」においては、手続きの透明性が完全に欠如している。透明性がないところに、公平性・客観性などは到底期待できないだろう。
■昇任制度の不透明
校長による「推薦」に何の基準も示されていないというのでは、すべてが校長の「気分」に委ねられるのと同じである。このため、教職員の多くが「昇任」を目指すことに対する倫理的な拒絶感情を持ってしまい、「昇任」への動機・意欲を喪失している。こうしたことは、世間一般の職場においては考えられない特異な状況と言わざるをえない。
その一方で、「推薦」獲得を目指す競争に参加しようとする者には、校長がさまざまの試練(無理難題)を課すことになる。
酒席への車での送迎などは論外としても、日常の学校運営(「校務分掌」)における「推薦」をにらんだ人事配置、あれこれの指図とそれへの服従、そして「推薦」をめぐる駆け引きと個人的確執……、いたるところに「昇任」をめぐる不透明な闇の部分が姿を現し、いらざる混乱を引き起こしている。
■校長会活動の浸潤
ここに活動領域拡大と影響力深化の絶好のチャンスを見い出し、組織的に介入してくるのが県高校長協会である。
地区校長会の肝煎りで「○○地区教務主任連絡協議会」、「○○地区生徒指導主事連絡協議会」などの組織が設置され、「推薦適齢期」を迎えた人たちが組織される。これらの「協議会」が会合を開く時には、すべて地区校長会長名で通知文書が発送されるなど、設立後も校長会のコントロールを脱することはできない。地区校長会は、次代の管理職たるべき教諭たちを校長会の監視のもとに活動させる。
校長会内部の家庭部会・理数部会・定通部会などが学校の組織を超越・無視してあれこれの活動をおこない、時に「研究大会」などと称して大規模行事をも企画し、一般教職員を授業日に大挙出張させ要員として使役する。
校長協会が動員するのは、校長による「推薦」の獲得を目指している「推薦適齢期」の教職員にとどまらない。「推薦」など望んでいない教職員も否応なく巻き込まれてゆく。さらに、校長協会は、各校の教職員・学校組織の頭越しに全県の生徒を勝手に動員し、保護者から金銭を徴集することまでする。高校総体の「1人1役活動」がその典型である。
■校長会活動の肥大化
私的団体・任意団体である県高校長協会の活動が「公務」に昇格するばかりではない。私的団体が、各学校における「校務」の在り方に口を出し、教職員の職務行為を統制するようになる。校長協会は、校長だけが会員になれる閉鎖的な組織である。その「校長」協会が、所属長としての権限を不当に行使して、組織外の教職員を手足のように使い、さらに学校教育全般に影響を及ぼす。
県費と団費から不当に金銭を引き出して活動資金を確保した上で、「人事」と「カネ」にまつわる利権構造を作り上げてこれに寄生し、ついには組織外の一般社会に対して非合法的に影響力を行使するに至る。
この県高校長協会の「裏組織」的体質についての解剖学的研究は、「校長会の人事」の社会学的研究の次の研究課題である。話をいったん1校1名推薦方式にもどそう。
■管理職登用についての意見
現職教諭等からの管理職登用を抑制する現行の1校1名方式のもとでは、学校現場からの昇任は非常に困難なものとなり、当然ながら「先がつかえた」状態となる。校長アンケートで、「登用の低年齢化を」という要望や、「実績適性を総合的に考慮してほしい」とか、「基準を明確に」という意見が噴出するのも当然である。
ゴール手前で振り切られた人や、そもそもスタートラインに立たせてもらえなかった人からではなく、無事ゴールインした者の中から「実績適性を総合的に考慮してほしい」、「基準を明確に」との意見が出てくるとあっては、問題は相当に深刻である。
また「問題を記述式に」との意見から察するに、ペーパーテストのレベルもあまり高くないようである。最低限の法令知識、事務処理能力すら持たない管理職員が誕生する所以である。
現職教諭等からの「管理職登用」の極度の制限は、必然的に「管理職登用」のためのもうひとつの道に、大きく門戸を開くことになる。すなわち、管理職へと至る「広き門」としての「天下り」の道である。
■「天下り」校長誕生
2000年4月19日、校長会は水戸プラザホテルで新年度第1回目の全体会を開催し、新たに県立学校の校長として40人の会員を迎え入れた。そのうち6人が、教育庁等からの転出による者であった。
すなわち、▼秋山和衛太田一高校長=前教育研修センター所長▼池田都實康水戸一高校長=前教育次長、▼増山弘那珂湊二高校長=前教育研修センター教科教育課長▼谷島英一友部高校長=前高校教育課企画担当課長補佐▼中村昌平取手二高校長=前保健体育課高校総体推進室長補佐▼片田政博水戸養護学校長=前特殊教育課長補佐。
のこりの34人は教頭からの昇任であったが、そのうち6人は教頭になる前に教育庁等の職員を経験している。
すなわち、▼小暮守雄笠間高校長=元保健体育課学校体育係長▼小圷利男大宮高校長=元体協運動公園主査▼鈴木茂大宮工高校長=元指導課指導主事▼中條武樹牛久栄進高校長=元教育研修センター指導主事▼染谷悟鬼怒商高校長=元教職員第二課人事担当管理主事▼小倉征夫協和養護学校長=元教育財団婦人会館主査。
結局のところ、今年度の新任校長40人中12人(30%)が教育庁等からの「天下り組」ということになる。
■「天下り」協会幹部
同じ第1回全体会で選出された、県高校長協会の役員の顔ぶれを見ると、「天下り組」の割合はもっと高い。
協会長の▼長瀬宗男土浦一高校長=元高校教育課長。普通高校・職業高校・特殊教育学校・私立高校に各1人が割り振られる副会長のうち、普通高校の▼池田都實康校長=前述、職業高校の▼二階堂章信水戸農業高校長=元教育研修センター研究主事。
書記2人のうち、▼中庭秀樹那珂高校長=前高校教育課長補佐兼人事係長、もうひとりの▼小神野藤雄龍ヶ崎第二高校長=元指導課指導主事、会計の▼北島瑞夫水戸二高校長=元指導課長。
地区校長会長5人のなかでは、県北校長会長の▼秋山和衛校長=前述、専門委員会委員長8人のうち生徒指導委員長の▼染谷心三和高校長=元教育研修センター教職教育課長、広報委員長の▼緑川裕水戸桜ノ牧高校長=元教育研修センター情報教育課長。
以上のとおり、私立高校分の副会長1人を除く拡大総務会の役員20人中9人(45%)が「天下り組」である。
次の表は、今年度の県高校長協会の役員および専門委員会所属の一覧表である(校長協会資料)。長瀬宗男協会長・池田都實康副協会長・北島瑞男会計(元指導課長)・秋山和衛県北協会長らが、管理委員会の委員であることがわかる。彼らこそ、一般協会員の意向から隔絶した「人事要望」の作成過程に、最初から最後まで携わった教育庁「天下り」組の協会幹部である。
このようにして、茨城県高校長協会の中枢部に陣取る元教育庁職員らは、特定校の校長ポストを「たらい回し」しつつ、「生え抜き組」の校長らを率いて古巣の茨城県教育庁に組織的圧力を及ぼしてゆくのであるが、次回の研究において、その仕組みが全面的に明らかになるだろう。
1.茨城県高等学校長協会役員 協会長 長瀬 宗男 (土一) 副協会長 池田 都寶康(水一) 額賀 良一 (大成) 二階堂 章信(水農) 宮本 孝男(勝養) 書 記 中庭 秀樹 (那珂) 小神野 藤雄 (竜二) 会 計 北島 瑞男 (水二) 監 事 丹 晃 (日二) 友部 發夫 (並木) |
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2.地区校長会役員 | |||||
県北 | 水戸 | 県東 | 県南 | 県西 | |
会長 | 秋 山(太一) | 坂 倉(大洗) | 橋 本(鉾一) | 澤 畠(八郷) | 稲 見(館一) |
副会長 | 宮 田(日北) | 緑 川(水桜) | 中 根(鹿島) | 鈴 木(竜一) | 湯 本(妻二) |
書記 | 高 安(高萩) | 石 井(常北) | 吉 武(鹿島養) | 井 波(石商) | 高 橋(古一) |
書記 | 鈴 木(高工) | 小 澤(水聾) | 八 馬(波崎) | 中 條(栄進) | 草 間(守谷) |
3.専門委員会構成 ◎委員長 ○副委員長 △書記 | |||||
県北 | 水戸 | 県東 | 県南 | 県西 | |
管 理 |
秋 山(太一) ○大 木(太二) 丹 (日二) |
深 津(大一) 池 田(水一) 北 島(水二) 増 山(湊二) △松 木(茨東) 宮 本(勝養) 諸 沢(常磐大) |
生井澤(麻生) | 長 瀬(土一) 鈴 木(竜一) 小 竹(江西) 三 輪(牛久) △前 川(美浦養) |
稲 見(館一) 早 瀬(館二) ◎秋 葉(妻一) 湯 本(妻二) 嶋 田(結二) △梅 澤(海一) 雨 谷(妻養) 小 倉(協養) |
財 政 |
日 座(日一) 鈴 木(高工) 田 上(松丘) |
△大 森(水商) ◎平 井(勝工) 森 山(湊一) △小 澤(水聾) 関 (友養) 中 村(水飯養) |
橋 本(鉾一) 吉 武(鹿島養) |
阿 部(石一) 笹 目(小川) 高 橋(江戸川) |
○清 水(竹園) 長谷川(岩西) 山 本(伊奈養) |
制 度 調 査 |
益 子(日工) 中 庭(北茨) |
木 村(小瀬) 安 (水南) 源 栄(佐和) 石 井(常北) 小 圷(大宮) 茅 根(盲) △沼野上(大養) |
橋 本(鉾一) 大 山(波柳川) |
◎下 代(中央) 中 條(栄進) ○小神野(竜二) 小 野(江戸崎) |
高 野(館工) 鈴 木(海二) △高 橋(古一) 横 田(境) 豊 崎(八千代) |
生 徒 指 導 |
増 田(日商) 矢 口(磯原) |
打 越(緑岡) ○木 暮(笠間) 茂 又(東海) 海老根(水城) |
△早 舩(鉾農) 高 松(玉工) |
澤 畠(八郷) 中 村(取二) 浅 田(霞ヶ浦) 三 浦(愛国) △櫻 井(聖徳) 高 塚(つくば国際) |
大 山(岩瀬) 幸 田(真壁) 大和田(石下) ◎染 谷(三和) 荒 井(猿島) |
学 習 指 導 |
○鈴 木(多賀) 岩 間(茨キリスト) |
植 田(勝田) △中 庭(那珂) 大 内(茨城) 額 賀(大成) 清 水(高等養) |
△八 馬(波崎) 十文字(清真) |
早 水(土三) ◎鶴 見(土工) 斎 藤(石二) 大 野(藤代) 高 野(紫水) 廣 瀬(東洋牛久) |
△染 谷(鬼商) 前 嶋(総工) 柳 田(境西) 草 間(守谷) 渡 邊(秀英) |
進 路 指 導 |
小 祝(佐竹) 寺 門(里美) |
高 野(水三) 小 祝(水工) 鈴 木(大宮工) 田 中(水短付) 野 上(水戸葵陵) |
△ 塙 (神栖) 余 湖(鹿島学園) |
藤 井(土二) 井 波(石商) 大久保(竜南) △本 多(取一) ◎富 永(取松) 青 山(常総) |
友 部(並木) ○助 川(つ工) 石 井(結一) 植 野(古二) 小 島(古三) 柳 田(伊奈) 石 川(茗渓) |
給 与 厚 生 |
宮 田(日北) 佐 藤(北養) |
佐 川(山商) 二階堂(水農) 坂 倉(大洗) ○岡 部(海洋) ◎佐 伯(友東養) 西 野(内養) |
石 原(鉾二) 飯 岡(鹿島養) |
沼 尻(土湖) 浅 野(土養) |
飯 田(上郷) △斎 藤(明野) 鈴 木(岩井) △中 山(結養) |
広 報 |
△高 安(高萩) 安 見(名秀日立) |
横 山(大二) ◎緑 川(水桜) △谷 島(友部) 片 田(水養) 鈴 木(水戸女子) |
○中 根(鹿島) | 鶴 巻(土浦日大) 内 田(霞聾) |
矢 口(筑波) 小 瀧(茎崎) 内 田(総和) |