校長会の研究 第8回「校長会の人事」 (その3) 校長会と高校教育課 2001.4.10

■今年度の昇任人事一覧

所属名 所属長氏名 教育庁等の経歴 ■教育庁等転任昇任等・▲校長昇任・△教頭昇任
●高校教育課 山田 隆士   高教課企画補佐 49 52 ■参事兼高校教育課長/課長山田隆士
■高校教育改革推進室長/改革担当課長補佐五味田優
■高校教育課副参事/指導担当課長補佐大金文郎
■特殊教育課管理担当係長/係長遅塚吉尋(行政)
   ▲土浦第二/副参事染谷信洋
   ▲日立北/人事担当課長補佐打越慎一
      △勝田工業/指導主事高畑啓治
      △松丘/管理主事小林勉
      △下館第一定時/中川隆行
●教研センター 山内 洋行 高教課人事補佐 - 52 ■鹿行教育事務所長/次長兼教職教育課長根本攻(義務)
■高教課指導主事/指導主事武井秀一
■総体推進室指導主事/指導主事沢畑好朗
   ▲玉造工業/情報教育課長大平勇次
      △龍ケ崎南/指導主事林和男
      △取手第二/指導主事鈴木義人
●総務課 山本 久雄 - 高教課総括補佐 - ■文化課文化財保護主事/歴史館文化財主事藤田雅一
      △神栖/指導主事大久保省三
      △常北/文化財保護主事久信田喜一
水戸第一 池田 都實康 教育次長 50 55 ■保体課指導主事/藤田知巳
   ▲日立二/仲田昭一
      △日立北/山形安義
水戸第二 北島 瑞男 指導課長 49 53 ■歴史館首席研究員/石川武治
   ▲明野/山野隆夫
      △岩瀬衛生看護/高根沢勝男
土浦第一 長瀬 宗男 参事兼高教課長 48 52 ■歴史館首席研究員/大津忠男
■教研セ主事/阿内大冠
那珂湊第一 森山 勝一 指導課長補佐 49 54    ▲大洗/鈴木勇一
      △那珂湊第一/野澤龍之
緑岡 打越 靖 教研セ情報課長 49 55    ▲結城一/植木行宏
      △東海/寺門徳教
取手第二 中村 昌平 総体室長補佐 50 55 ■保健体育課長/中村昌平
      △境西/針替研雄
江戸崎西 小竹 修   53 56 ■運動公園所長/教頭梅澤義昭
      △江戸崎西/斎藤和男
潮来 益子 次男   54 56    ▲波崎柳川/小沼恒敏
      △潮来/櫻井五百城
北茨城 中庭 純   54 57    ▲勝田/渡邊真那夫
      △佐竹/竹下威男
土浦工業 鶴見 重夫 指導課指導主事 50 53       △つくば工科/石毛光男
      △下館工業/塩幡裕
太田第二 大木 弘寿 県体協本部 47 54 ■県南生涯学習センター所長/教頭金澤正巳
太田第一 秋山 和衛 教研セ所長 49 53 ■高教課人事担当管理主事/萩谷主郎
水戸桜ノ牧 緑川 裕 教研セ情報課長 49 54 ■保体課係長/南雲康司
鉾田第一 橋本 左内 生涯学習課係長 51 54 ■保体課指導主事/川島敏男
笠間 小暮 守雄 保体課体育係長 52 56 ■総体推進室指導主事/芝田武
日立第二 丹  晃   53 57 ■総体推進室指導主事/益子雄行
下妻第一 秋葉 宗宏   54 56 ■総体推進室指導主事/国府田稔
茎崎 小濱 隆   54 57 ■高教課人事担当課長補佐/教頭村松輝美
山方商業 佐川 昇一   55 57 ■教研セ情報教育課長/教頭佐藤稔
岩瀬 大山 恒雄   55 57 ■高教課指導担当課長補佐/教頭吉田洋幸
水戸工業 小祝 正盛   47 50    ▲神栖/根本明徳
牛久栄進 中條 武樹 教研セ研究主事 48 55    ▲牛久/川島弘之
土浦湖北 沼尻 良三 教研セ研究主事 49 53    ▲土浦湖北/石塚眞
古河第一 高橋 昇 教研セ教二課長 49 54    ▲岩井西/猪瀬勝衛
龍ケ崎第二 小神野 藤雄 教研セ教職課長 49 55    ▲龍ケ崎第二/坂本勝男
つくば工科 助川 隆朝   50 54    ▲つくば工/野口省二
●保健体育課 坂本 忠夫 参事兼保体課長 51 54    ▲水戸第三校長/課長坂本忠夫
佐竹 小祝 仁晃 保体指導主事 52 54    ▲佐竹/川上愛
龍ケ崎第一 鈴木 忠治   52 55    ▲茎崎/覚幸鉄太郎
八千代 豊崎 功   52 55    ▲取手第二/近藤隆
大子第二 横山 英生   53 57    ▲磯原/松本宏
筑波 矢口 晃   53 57    ▲八郷/鶴田周治
古河第二 植野 孝雄   54 56    ▲総和/青柳正美
松丘 田上 威   54 57    ▲松丘/藤正文
石岡第二 斎藤 正五   54 57    ▲中央/三輪義治
取手松陽 富永 道也   55 57    ▲取手松陽/東谷賢二
高萩工業 鈴木 巳代治   55 58    ▲北茨城/小泉陽一
石岡第一 阿部 敏博   55 58    ▲猿島/廣瀬弘
●文化課 皆藤 健一 - 県健診協会部長 -         △土浦第一定時/文化財保護主事市川彰
三和 染谷 心 教研セ教職課長 48 54       △古河第一定時/秋山長滋
麻生 生井沢 精二   49 54       △鹿島/川又淑
那珂 中庭 秀樹 高教課人事補佐 49 55       △水戸農定時/佐藤伸彦
勝田工業 平井 昭志   50 53       △高萩工/勝山宏一
日立商業 増田 賢一 教研セ情報課長 50 55       △山方商/鹿島憲一
竹園 清水 浩 歴史館主査 51 56       △結城第一/菊地富壽
岩井西 長谷川 訓也 保体課保健係長 51 56       △古河第二/田崎久雄
下館第一 稲見 庄二   52 54       △八千代/櫻井操
藤代 大野 英二   53 56       △取手松陽/岡田寛
龍ケ崎南 大久保 昇    53 58       △龍ケ崎第一定時/飯倉正幸
多賀 鈴木 仟   54 57       △北茨城/本田勝彦
古河第三 小島 昇   54 57       △結城第二/會澤洋輔
波崎 八馬 弘至   54 58       △鹿島灘/小澤廣政
海洋 岡部 禮二   55 57       △海洋/永野武晨
玉造工業 高松 勝明   55 57       △龍ケ崎第二/黒澤隆
江戸崎 小野 清秀   55 57       △土浦第二/礒田績
水海道第二 鈴木 孝八郎   55 57       △茎崎/箕輪匡子
境西 柳田 武   55 57       △石下/稲葉田足


 右の表は、本年4月1日付けで発令された教育庁等への転任者と、校長および教頭への昇任者を、元の所属所ごとに列挙したものである(昇任前の職名が省略してあるもののうち、新任校長の場合は教頭、それ以外は教諭である。なお、教育庁内の人事については一部だけ掲載し、内部での昇任を含む)。
 所属長の氏名は、あえて昨年度のものを掲げた。つまり、今回指導主事・管理主事・校長・教頭に昇任した人たちについて、その昇任をもとめる推薦書を高校教育課に提出した校長等の氏名である。
 それらを、一所属所あたりの昇任者数の多い順に並べた(人数が同じ場合は、所属長の昇任年齢順=『校長会の研究』第7回参照)。すなわち、部下を昇進させる「人事力」ランキング表である。   

■部下を昇進させる高校教育課長
 県立学校の人事権を掌握する山田隆士高校教育課長が他を圧倒している。惨事を兼任し、課内に「高校教育改革推進室」が新設され課員2名が充てられたのは教育長らによる措置だろうから、それらは除くにしても、課内から校長2名と教頭3名を一挙に産出している。
 山田課長の同期生で元人事担当課長補佐の山内洋行教育研修センター所長も、教育庁本庁等に3名を送り込んだほか、校長1名と教頭2名を産み出した。
 学校からは、校長昇任・教頭昇任の推薦枠は、1名に制限されている。実績をみても、今年度は高校111校からは、23名の新校長(1校あたり0.21人)と、28名の新教頭(1校あたり0.25人)が誕生したに過ぎない。高校教育課と教育研究センターの地位は、際立っている。

■部下を昇進させる校長
 校長のなかでは、教育庁天下り組を中心とする校長協会幹部らの活躍が目立つ。
 池田都實康元教育次長と北島瑞男元指導課長は、指導主事等・校長・教頭を1名ずつ、合計3名を効率良く送りだしている。長瀬宗男元高校教育課長や森山勝一元指導課長補佐らは2名ずつ送っている。ここまでで、今年度の昇任者の半分近くを占めている。
 表中の「■」、すなわち新たに教育庁等の職員になった人たちを送りだした校長たちに注目しよう。
 「■」印のうち、すでに教頭であって、そこから教育庁の課長補佐以上か出先の課長以上に昇任する者の場合、教育庁側の采配で決せられるに違いなく、したがって送りだす側の所属長の「実力」は必須ではない。また、高校総体推進室の指導主事については、必ずしも昇任が約束されておらず、教諭としての学校復帰もあり得るという特殊事情がある(といわれている)ので分けて考える。
 これらを除くと、ほとんどすべての「■」印は、天下り組校長・校長協会幹部校長のもとから送りだされている。 


■先輩校長による手引き
 校長会という最高峰に至る登攀ルートには、教育庁本庁の高校教育課ルートと保健体育課ルートのほか、迂回ルートとしての教育研究センタールート、さらに歴史館勤務等の「教育財団」(齋藤佳郎理事長)ルートや運動公園勤務等の「体協」(山口武平会長)経由ルートなどがある。
 いずれのルートをたどる場合であっても、初心者の単独登頂はおぼつかない。そこには先輩たる天下り幹部組によるマンツーマンの指導が絶対に不可欠である。
 「44歳以下」という管理主事・指導主事の条件が校長にだけ知らされ、一般教職員には公開されていない件については、前号で指摘した通りである。推薦の締め切りが12月上旬であることを含め、こうした「裏」の事情に通じていなければ、昇任のチャンスはないのである。 


■秋山和衛県北校長会長の経歴

 ところが、これにはさらに「裏の裏」があった。
 小林勉管理主事の教頭昇任による教育庁転出を受けて、新たに萩谷主郎太田一高教諭が人事担当管理主事に採用された。彼は5年ないし6年後、先輩たちと同じように教頭に昇任し、いずれは校長会の仲間入りをするという将来が約束されている。
 ところで問題なのは、萩谷管理主事が、「44歳以下」という条件を満たしていないことである。
 萩谷主事を推薦したのは、秋山和衛太田一高校長(県北地区校長会長)である。
 秋山校長は、太田一高教諭を経て、1987(昭和62)年、45歳で教職員第2課人事担当管理主事になり、4年後49歳で日立2高教頭、2年後の1993(平成5)年、長瀬宗男係長(前土浦一高校長。県高校長協会長)の後を受けて教職員第二課長補佐兼人事係長に就任した。
 当時の増田一也教職員第二課長(現茨城県教育委員)は、一切の教育庁勤務経験もないまま課長に就任した特異な人物である。そうなると、彼の果たし得る唯一の職務としては部下たちに対する「お目付役」以外に考えられない。
 増田課長の特命を受け、秋山人事係長は、山内洋行(現教育研修センター所長)、山田隆士(現高校教育課長)、覚幸鉄太郎(現茎崎高校長)、打越慎一(前人事担当課長補佐、現日立北高校長)、竹井茂雄(現下妻一高教頭)の5人の管理主事を率いて、急遽「強制人事異動」方針を策定した。
 秋山係長は、「強制異動元年」たる1995(平成7)年度人事作業を取り仕切ったうえで、みずからは日立二高校長に就任した。4年後に教研センター所長、翌2000年度に現職についた。
 昨年度、秋山校長は山田高校教育課長から、小林管理主事転出後の後任者の補充を依頼され、萩谷教諭を送りだしたに違いない。その際、秋山校長は、「44歳以下」という条件については拘泥する必要がないこと、したがって45歳の萩谷教諭を推薦することに何の障碍もないことを、熟知していたのである。
 このようにして、人事担当者OBが、次世代の人事担当者を作り出す。これが、過去数十年にわたって続いて来た人事権承継の仕組みである。


歴代校長協会長の経歴 
 次の表は、県高校長協会幹部と教育庁高校教育課・保健体育課幹部らの経歴である。ただし、2002年度以降の分と2001年度以降の校長協会役員人事は、従来の協会人事=校長の人事と、教育庁人事のパターン解析に基づく予測である(予測の一例である。さまざまの因子があるので必ずこうなるというものではない)。

氏名 最終年 2004(平成16) 2003(平成15) 2002(平成14) 2001(平成13) 2000(平成12) 1999(平成11) 1998(平成10) 1997(平成9) 1996(平成8) 1995(平成7) 1994(平成6) 1993(平成5)
藤田 潤一 1993                       ●水戸二校長/協会長
濱崎 厚 1994                     ●水戸一校長/協会長 水戸一校長/副協会長
増田 一也 1995 教育委員 教育委員 教育委員 教育委員 教育委員     教育研修センター所長 教育研修センター所長 ●海一校長/協会長 海一校長/副協会長 教職員第二課長
鶴巻 勝夫 1997               ●水戸一校長/協会長 ●水戸一校長/協会長 水戸一校長/副協会長 教職員第二課長 牛久栄進校長
齋藤 佳郎 1998             教育研修センター所長 教育長 教育長 教育次長 教育次長 指導課長
小島 信基 1998             ●水戸二校長/協会長 水戸二校長/副協会長 水戸二校長/副協会長 水戸二校長/書記 水戸二校長/書記 水戸桜牧校長/学指長
安見 隆雄 1999           ●水戸一校長/協会長 水戸一校長/副協会長 大洗校長/書記 下館二校長/学指委長 下館二校長/学指書記 下館二校長 那珂湊二教頭
長瀬 宗男 2000         ●土浦一校長/協会長 土浦一校長/副協会長 土浦一校長/県南会長 高校教育課長 高校教育課長 教職員第二課長 土浦湖北校長/会計 土浦湖北校長
池田 都實康 2001       ●水戸一校長/協会長 水戸一校長/副協会長 教育次長 鉾田一校長 鉾田一校長 指導課長 指導課長 指導課長 指導課高教係長
秋山 和衛 2001       太田一校長/県北会長 太田一校長/県北会長 教育研修センター所長 教育研修センター次長 日立二校長/書記 日立二校長/書記 日立二校長/会計 教二課人事係長 教二課人事係長
小神野 藤雄 2002     ●下館一校長/協会長 下館一校長/副協会長 龍二校長/書記 龍二校長/制度委書記 龍二校長/制度委書記 教研セ教職教育課長 教研セ教職教育課長 教研セ教職教育課長 藤代教頭 龍ケ崎一定時教頭
中庭 秀樹 2003   ●水戸一校長/協会長 水戸一校長/書記 那珂校長/書記 那珂校長/書記 那珂校長 高校教育課人事係長 高校教育課人事係長 水戸一教頭 水戸一教頭 岩瀬教頭 岩瀬教頭
稲葉 節生 2004 教育長 教育長 教育長 教育次長 教育次長 高校教育課長 高校教育課長 教育研修センター次長 小川校長/制度委書記 小川校長/制度委書記 教二課企画係長 教二課企画係長
山内 洋行 2004 下館一校長/県西会長 下館一校長/県西副 水戸二校長 教育研修センター所長 教育研修センター所長 友部校長 下妻二校長 下妻二校長 高校教育課人事係長 教二課人事係長 指導課高教係長 教二課人事管理主事
山田 隆士 2004 ●土浦一校長/協会長 土浦一校長/副協会長 高校教育課長 高校教育課長 高校教育課長 牛久栄進校長 牛久栄進校長 牛久栄進校長 高校教育課企画係長 教二課企画係長 牛久栄進教頭 教二課人事管理主事
谷島 英一 2006 高校教育課長 高校教育課長 友部校長 友部校長 友部校長 高教課改革課長補佐 高校教育課企画係長 高校教育課企画係長 岩瀬看護教頭 教二課企画管理主事 教二課企画管理主事 教二課企画管理主事
打越 慎一 2007 勝田校長 勝田校長 日立北校長 日立北校長 高教課人事課長補佐 高教課人事課長補佐 東海教頭 東海教頭 高教課人事管理主事 教二課人事管理主事 教二課人事管理主事 教二課人事管理主事
村松 輝美   中央校長 中央校長 高教課人事課長補佐 高教課人事課長補佐 茎崎教頭 茎崎教頭 高教課人事管理主事 高教課人事管理主事 高教課人事管理主事 教二課人事管理主事 教二課人事管理主事 竹園教諭
五味田 優   友部校長 友部校長 高教課高教改革室長 高教課高教改革室長 高教課改革課長補佐 太田二教頭 太田二教頭 高教課企画管理主事 高教課企画管理主事 教二課企画管理主事 教二課企画管理主事 教二課企画管理主事
高野 惣一 2000         水戸三校長 水戸三校長 水戸三校長 保健体育課長 保健体育課長 北茨城校長 北茨城校長 水戸三教頭
坂本 忠夫 2002     水戸三校長 水戸三校長 保健体育課長 保健体育課長 保健体育課長 山方商業校長 日立商教頭 日立商教頭 日立商教頭 保体スポーツ振興係長
中村 昌平 2004 水戸二校長 水戸二校長 保健体育課長 保健体育課長 取手二校長 総体推進室長補佐 総体推進室長補佐 土浦二教頭 土浦一定時教頭 土浦一定時教頭 保体課体育係長 保体課体育係長

 表中の「●」が県高校長協会の協会長である。この表だけではわからないが、1993(平成5)年の藤田潤一協会長と1994(平成6)年の濱崎厚協会長は教育次長経験者である。1998(平成10)年の小島信基協会長(元指導課高校係長、元教二課人事担当管理主事)と1999(平成11)年の安見隆雄協会長(元歴史館主査)を除く歴代協会長が、高校教育課長か教育次長の天下りである。
 このようなことは偶然ではあり得ない。高校長以下、県立高校の全教職員の人事権を掌握する高校教育課が、意図的に、しかも継続的かつ組織的に、人事作業をおこなってきた結果である。   

■人事担当者の「お手盛り」人事
 組織体において権限を行使する者は、その権限を当該組織の目的実現のために行使しなければならない。とりわけ会計担当者や人事担当者は、この原則を厳守しなければならないのであって、与えられた権限を個人的利益のために行使することは絶対に許されない。
 会計担当者が公金に手をつければ懲戒免職は免れない。人事担当者には、組織の裏方に徹する覚悟が求められるのであって、自分たちを人事上優遇することなど到底許されない。
 ところが、茨城県教育庁高校教育課には、この最低限の倫理は無縁のようである。高校教育課は、毎年度系統的に自分たち教育庁等職員を優先的に校長に配置するシステムをつくりあげ、それを維持して来た。
 教育庁幹部職員、とりわけ高校教育課幹部職員が県高校長協会の一員となるにあたっては、校長協会幹部の地位が用意されている。課長補佐経験者には「書記」ないし「会計」、課長経験者には「副協会長」そして「協会長」のポストが約束されている。高校教育課出身者が次々に校長協会幹部として君臨するシステムである。
 

■校長の人事権
 校長の持つ人事権限は、広範囲にわたり、しかも決定的である。
 教諭等一般の教職員の学校間異動において、校長は、当該所属(学校)の教職員が表明した転出希望につき、それを「不可」ないし「理由なし」とする「校長意見」を上申することで、その異動を阻止する権限を持つ。「校長意見」欄を持つ「一覧表」作成は、たんなる転記作業ではない。例年校長が「希望調査書」の提出期日を早めに設定したがる理由である。
 校長は、他校教職員の転入について管理主事から打診を受けるが、あれこれの「理由」をつけることにより、それを拒絶する権限を持つ(『茨城の教育』869号、2001年1月17日)。
 常勤講師・非常勤講師の選定と任免は、校長の裁量に委ねられる。
 学校の教職員は、一定の要件(10年・2校以上の教職経験、40歳以上)を満たしたとしても、当該所属の校長の「推薦」がなければ、教頭昇任のチャンスは与えられない。教頭から校長への昇任に際しても同様である。教育庁等職員への登用においても、同様に校長の「推薦」が不可欠である。校長は、推薦しないという形でも権限を行使する(本研究、第7回)。
 以上が「合法的」な権限行使である。(もちろん制度に問題がある。異動に際しての校長の意見具申権と拒否権の制限・是正、一定要件を満たす者に一律に昇任試験受験資格を与えるなどの制度改正が必要だ。) 


■いわゆる「校長人事」
 教職員の学校間異動に際して、当該校の校長らが、あらかじめ談合し特定教職員のやりとりをおこなう。
 これがいわゆる「校長人事」である。出身大学の後輩を集める(「学閥人事」)、当該校卒業生を集める(「同窓会人事」)、校長が交代するとその前任校からの異動者が増える、等々、その事例には事欠かない。
 このような事前談合による異動の事実については、当事者の証言が無数にあり、今さら抗弁の余地はない。
 問題はそのような事前談合がいかにして有効になるか、その理由である。 


■校長協会幹部と管理主事

 人事担当部署から天下った校長を幹部に擁する校長協会は、教職員の人事において絶対的強みを発揮する。
 校長らの事前談合でつくられた私的な異動プランが担当管理主事らに下命されて、高校教育課の公式の異動プランに組み込まれ、「校長ヒアリング」を通じて、各校の校長と当該教員に伝えられる。
 高校教育課の人事担当管理主事は、県高校長協会の幹部、元の教育庁幹部職員、かつての上司である校長を相手にしなければならない。そこには、自分を管理主事に推薦してくれた校長もいる。
 管理主事は、数年後には教頭として校長の部下になることを運命付けられている。
 こうした状況下で、校長らの圧力が管理主事に対して無効であるとは考えにくい。

■誰が校長の人事をおこなうか
 いよいよ校長の人事、すなわち校長らの学校間異動と昇任について考察する段階になった。
 校長の人事は茨城県教育委員会の権限であり、教育庁高校教育課が分担することになっている。校長の人事ともなれば、間違っても管理主事の出る幕ではない。高校教育課長と人事担当課長補佐がそれを差配することとなる。
 ところで課長と課長補佐は、1、2年後には校長になることになっている人たちだ。現職の高校教育課長は、直前まで校長であり、その時すでに校長協会の中心的なメンバーであった。
 しかも現職の課長は、近い将来の協会長の地位を、いつでもすでにあらかじめ約束された人物なのだ。彼が、未来の自分の手を縛り、その力を削ぐようなことをする動機はどこにもない。
 そのうえ、現職の協会長はほとんどの場合、元高校教育課長や元教育次長などの教育庁OBである。彼らは、廊下を歩く時ですら自然に名簿順(年齢順)に並んでしまう(!)ような牢固な序列意識の持ち主である。
 県の機関である茨城県教育庁高校教育課が、任意団体である茨城県高校長協会の意向を踏まえて校長の人事作業をおこなうことになる。

■教育庁幹部人事と校長の人事

 そもそも高校教育課と校長協会のどちらが優勢か、と問うこと自体にあまり意味がない。
 高校教育課と校長協会をふたつの独立した主体と看做すことはできない。両者は一心同体であって、そこには本質的な齟齬の生ずる余地はない。 教育庁幹部人事と校長の人事とは、完全な対応関係のもとに統制されている。すなわち、教育庁幹部人事と校長の人事は、完璧に同期(シンクロ)している。 校長の人事と県高校長協会の人事は、メダルの表裏であって、そこに公私の区別の余地はない(メダルの表には「校長協会」の刻印があり、協会長の横顔のレリーフが施されている)。 これは、公私混同などという次元の問題ではない。もともと公私の区別など存在しない、公私未分の領野なのだ。 教育庁の人事配置と、校長の人事配置を、相互に無関係に独立しておこなうことは到底できない。
 彼らは、教育庁職員の人事を所掌する教育庁総務課による掣肘を排除し、教育庁等職員と校長・教頭との人事交流、後継者の補充に気を配りつつ、校長・教頭の昇任・転任について、パズルを解くようにしてプランを組みたてるのである。

 『校長会の研究』は、当初5回程度の連載で終了する予定であった。 しかしながら、「人事」に関する校長会の役割の分析(第4回および第5回)をおこなうなかで、校長会の予想外の活動実態があきらかになり、本研究は、いわゆる「天下り」問題、すなわち教育庁人事と校長会人事の同期メカニズムの解明(第6回、第7回、第8回)へと向かうこととなった。 次回は、校長の異動パターンの類型分析をおこない、テーマ「校長会の人事」に一応の区切りをつける。
 次々回以降の『校長会の研究』は、校長会の下部組織としての「教頭会」の活動実態について概観し、その問題点を探ることとする。



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